昔はかなり見栄を張っていた
普通より張っていた方な気がする
年齢に合っていないちょっと良い時計をつけ、有名セレクトショップばかりで服を買い、小難しい本を本棚に並べて満悦していた
友人の誕生日にはオシャレだと思われたくて高いオシャレ雑貨を買い、手土産には限定ショップのお菓子を買いに遠出していた
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ある日気づいた
良い時計を持っている事が格好いいんじゃない、良い時計をサラッと買える収入がある事が格好いいんだと
良い服を普段着として買える事が格好いいんだと
頑張って頑張って捻出して高いものを身につける事に何の意味も無いのだと
良い物を持っているからと言って、人から良く見られるわけではない
良い物を持っている人はただの『良い物を持っている人』だ
持っている物が変わっても本体は何も変わらない
そもそも良く見られたいという事自体に意味はないのではなかろうか
不快に思われたくない程度でいいじゃあないか
プレゼントだってオシャレだと思われたいというのは自分のことしか考えていない無意味な事だ
夫と知り合ってから変わった
夫は全く見栄を張らない、できれば全く目立たず日陰で生きていたいという信念を貫いている
それにかなり影響された
無理をしない、人の目や評価を気にしない、適当に生きる
楽過ぎる
ママ友とかいう人付き合いも積極的にはしていない
友達や知り合いが多いという事に意味はない
表面上問題なく距離を持って付き合えればそれでいい
ありのままで生きるとクソみたいな人生になるのでそれなりに制御はしているが、自分自身を無理に大きく見せないというのはとてもハッピーだ
私がもし人生が幸せになる講座(胡散臭すぎる)でも開くならば、まずSNSを止める事を推奨するだろう
↓はんぺんって謎の美味しさがあるよね↓