実家に顔を出してきた
さほど遠くない上に私は後部座席に乗っているだけなので楽である
楽をさせてもらっているともいう
正月は嫌いではない
年齢を重ねるにつれて食事の量が減っていているのだ
それが問題なのだ
我々の親世代(60代)は、明らかに食べられない量を提供する事が大変に素晴らしい事だと思っている人が多いと思う
おせち料理ならば良い
数日持つので何日かに分けて食べたらいい
おせち料理を筆頭に、日持ちしない鍋や鉄板焼きやその他汁物おかずが机にギッシリ出てくるのだ
食べ盛りの高校生がいるわけではない
30代に40代、60代あとは小学生以下の乳幼児しか集まらないのだ
皆当然そんなに食べられない
おせちですら7割が残り、おかず類も半分以上は残ってしまう
それが昼食だったのだ
すると18時頃に夕食にまた別の料理を作り始めるという謎の事態が起きていた
当然だれも食べられない
作っている母親本人もわかっているはずだ
しかも昼食もたくさん残っている
それが毎年繰り返されるのだ
’おもてなし’ という気持ちもわかる
年に1度、ハレの日ぐらい贅沢しようというのもわかる
それは食べられるであろう量+αでは駄目なのだろうか
普段食べられないめでたいものを、適量では駄目なのだろうか
残った食べ物は少しずつ持たされるものの、残りは実家に残されている
実家には60代後半の両親しかいないのだ
そんなに食べないのだ
結局のところ、処理しきれない訳だ
’もてなし’ のために用意されても最終的に何割か処分されるのはいかがなものか
何度事前に説明しても減らすことが出来ないらしい
私も60代になったらその境地に入ってしまうのか
わからない
あまりそういう派手にもてなすという時代背景ではないから、あと30年後ぐらいには正月に家族が集まるという風潮すらなくなっているかもしれない
まぁそれはそれでいいだろう